「おーい、獄寺ー。…?獄寺ー?」
意識の薄い中で聞こえてくる声を脳内で翻訳してくれる機能は起きていなかった。
彼女の意識はあるようで無かった。
「まだ寝てんのか?珍しいのなッ!獄寺が寝坊なんて」
「てっきり徹夜して難しい本でも読んでるんじゃないかって――――――アレ?」
布団がバサァッとはがされひんやりとした冷たい空気が彼女の肌に触れる。
布団を剥がした当の本人は目を丸くして彼女を見ている。
彼女は目を薄く開けてみたが頭も体も起きてはくれないし、起きる気配もない。
「ま、マジ……?獄寺、お前……ッ!!」
「お前いつから女になったんだ!?」
どうしたんだよ!
そう騒がれて彼女の体がムクリと起き上がる。
そんな彼女の肩を掴んで前後にブンブンと動かす。
「いや、お前元から女だったとかそういうのなのか?なあ!獄寺ー!!」
そんな言葉も彼女には届いていない。
眠そうな顔でぽへーという効果音が付きそうな雰囲気だ。
するりと彼女の腕が彼の方へ伸びてきたかと思えばそのままギュウッと抱きついてくる。
彼は慌ててストップストップと呼びかけたがもはや手遅れだった。
「おはようございますー」
「おうっ!おはよー。…って!獄寺、獄寺!俺にそんな趣味無いからさ!抱きつく相手間違えて――――」
彼が必死に彼女に訴えていると不意に部屋の扉が開く音がする。
その音に反応して彼が後ろを振り返るとたちまち罵声が降りかかった。
「な、な、な…!山本ぉおおおおおっ!テメッ、そいつに何してやがる!!」
「え?ご、獄寺ッ!?お前、やっぱ男だったんだな!いやー良かったー……って、じゃあこいつ誰だ?」
「何意味わかんねー事言ってんだアホ!いいから離れろクソ野郎!」
部屋の入り口から猛スピードで駆けつけた獄寺が山本から
と山本の間に入った獄寺は呼吸を荒くしながら必死だった。
「テメェ!人の部屋に勝手に入って来んじゃねーっていつも言ってるだろーがっ!」
「いや、お前が遅いから見に来たんだって」
「さっきのは何だよ!こいつに何しやがったッ!」
「な、何もしてねーって!ていうか、その子誰だよ!?寝ぼけてんだって!」
「嘘言ってんじゃねーぞコラァ!さっきこいつ抱きしめて――――――!!」
2人の口喧嘩は遮られるような形で獄寺の口が止まった。
後ろから何か温かいものがくっついてきた。
それが何なのか予測がついた獄寺は恐る恐る後ろに顔を動かすとみるみる彼の頬が紅く染まった。
「お、おい!ちょ、お前ッ!―――お、起きやがれぇぇええええっ!」
その彼の叫んだ声はそのあたり一帯に広がったという。
もちろん、彼女が起きなかった筈が無かった。
「本当にすいませんでしたっ!!」
服も着替え、髪も整え、いつもの様子に戻った
が2人に謝っていた。
綱吉は近くで楽しそうに微笑んでいて、獄寺は頭を抱えていて、山本は何も無かったようにいつもと同じだった。
そして、山本と獄寺に必死に謝っている彼女。
「別にいいって!それにしても獄寺の婚約者だったのなー。」
「す、すみませんっ!本当に…。私、寝ている時や寝ぼけている時に何かを抱きしめる癖があるみたいで…その、」
「面白い癖なのな!あははっ!吃驚したぜ」
「ごめんなさい!」
山本に謝った後に今度は獄寺の方を向く。
彼に近づき申し訳なさそうな表情で顔を覗き込む。
「獄寺さん…ごめんなさい」
彼女の心からの謝罪を聞き、彼はフーと大きくため息をついた。
怒るのも馬鹿馬鹿しくなってくる。
獄寺のため息に一層不安そうな表情になった彼女の頭をクシャリと撫でた。
「………何も無かったんだよな?なら、いい」
獄寺のその言葉に彼女の顔はパアッと晴れてはいと返事をした。
そんな2人を見ていた綱吉と山本は少し驚いたような表情を見せたが、互いに顔を見合わせ笑った。
恐らく、こんな獄寺を見たことが無かったのだろう。
の前だと何だか柔らかい獄寺に2人は喜びを隠せなかったのだ。
「って、ほら!獄寺君と山本は仕事仕事ッ!
ちゃんはこっち来て」
綱吉の言葉に獄寺と山本は慌ただしく部屋から出ていった。
は綱吉の方へ近づいて立ち止まる。
「
ちゃんは今日が初めてだからね。挨拶回りに行こうか」
綱吉の言葉に頷いて、こちらも部屋を後にした。
慌ただしい朝がやっと幕を閉じたのだった。
「コーヒーです。どうぞ」
「あぁ、ありがとう。―――ッ!!」
午前中は大まかにボンゴレのお偉い関係者達に挨拶回りをしていた
だったが、午後からは初めての仕事をしていた。
アルバイトなどとは全くといっていいほど縁が無く、仕事などしたことが無い彼女にとって何もかもが新鮮だった。
主に仕事の内容はお茶出し、部屋の掃除といったものでおばちゃんがやるような仕事を彼女がやっている。
仕事をし始めてから1時間も経たないうちに彼女の噂はボンゴレ内に広まった。
『凄い可愛くて美人な子がお茶持ってきてくれるぞ!』
『やべえ、勿体なくてお茶が飲めねー!』
『彼氏居るのかな?居るのかな?居ても略奪のチャンスじゃね?これ、チャンスだって!』
『何言ってるんだ!相手は獄寺さんだぞ!獄寺さんの婚約者だって聞いたぞ!』
こんな会話がそこらじゅうで行われていた。
ほとんど男しかいない職場にとって彼女は華。
癒し的存在だった。
「
、スゲー人気なのな」
「おい、何気安く名前で呼んでんだよ」
「まーまー!そんな嫉妬してカリカリしてんなって」
「誰がするか!」
「まぁ、
は可愛いしなっ。獄寺スゲーのな!婚約者だぜ?」
先ほどから獄寺は苛立ってしまって仕方がない。
男どもが
を見る目。
ただ、可愛いなーくらいにしか見ていないというのに飛びかかって胸倉を掴みそうな勢いだった。
それほど心に余裕というものがないのだろうか。
彼女が部屋を出ていくと安心したように仕事に集中する。
どんどん調子が狂ってしまう獄寺は頭を悩ませるばかりだった。
一方
はお茶出しを終えて今度は何をしようかと考えながら廊下を歩いていた。
トレーニングをしている人たちに何か飲み物とタオルを持っていこうかと思考を巡らせる。
嬉しそうに廊下を歩いている彼女に何かが近づいていた。
正確には彼女が近づいていた。
ある部屋の前を通り過ぎようとしたとき、横からにゅっと伸びてきた手。
彼女は掴まれてから何事かと身の危険を感じた。
しかしそんな恐怖を感じた頃にはもう遅く、暗い物置のような狭い部屋で何者かに抱きしめられている彼女。
突き放して逃げようとしたときに上から降ってきた声に動きが止まってしまった。
「
―――」
「きょ、うや…様?」
顔をあげてみるとそこには確かに雲雀の顔があった。
雲雀に抱きしめられている。
この腕を振りほどかなくてはいけないのに―――
2人でいてはいけないのに―――
彼女には雲雀に抵抗することが出来なかった。
「ねぇ…どうして獄寺隼人なんかと………」
「僕の事嫌いにでもなった…?」
雲雀の言葉に
は疑問しか浮かんで来なかった。
どうして―――?
その言葉が頭の中で連呼される。
「どうして、ですか?」
「恭弥様が私をお嫌いになったから…だから破談になったのではないのですか?」
のその言葉に雲雀は目を見開いた。
どういうことだ
そんな言葉が巡る。
互いに勘違いしてここまで開いてしまった距離。
しかし、それを埋めるには気が付くのが遅すぎた。
「そんなの知らないよ…。僕は何も聞かされていないからね」
「そ、んな……でも私には――――ッ」
彼女が驚きを隠せずに口を開くとその唇は雲雀の唇によってふさがれた。
少し荒々しいキスが繰り返され、唇が離れるのも惜しいような気がした。
「ねぇ……戻って来てよ」
「僕が好きなのは
なんだよ?」
涙が、溢れた。
この言葉をどれほど夢見て叶わないと諦めた事か分からない。
今までのは全部無しでこれが本当なんだよとどんなに言われたかった事か……。
それなのに――――
(どうしてこんなに苦しいの……?)
胸に押し寄せてくる罪悪感。
全てを無かったことにするにはもう遅かった。
「どうして……?」
「
?」
「どうしてですか……?どうして今になって」
「―――ッ!」
「だって恭弥様にはハルさんが居て、私には獄寺さんが居るじゃないですか……」
「今更無かった事には出来ません―――」
彼女の言葉がズシリと重くのしかかる。
遅すぎたのだ。
何もかも。
「恭弥様、昨日ハルさんとキス…していましたよね?それなのに私の事が好きだなんておかしいです」
「あれは向こうが勝手に――」
雲雀が事情を説明しようとしていた口を閉ざした。
今にも壊れそうな彼女を見て居られなかった。
より一層強く抱きしめる。
「
、愛してる…」
「や、め…てくだ、さい」
雲雀の言葉をひたすら拒絶しようとする彼女。
拒絶しないといけなかった。
拒絶なんてしたくないのに―――
受け入れることは出来ないのに――――
それでも雲雀は彼女にキスを落とす。
彼女の心が壊れてしまいそうだった。
グチャグチャに心を掻き乱されたようだった。
「
―――」
名前を呼ばれて一層涙が溢れ出る。
嫌だと首を振っても優しく頭を撫でられる。
「いやっ…!嫌ッ―――!!」
そう言って頭を抱えて足を折ってその場に膝をついて小さく震える彼女をみて雲雀はついに何も出来なかった。
全身で己を拒絶している様を見るのは胸が張り裂けそうだった。
「私が好きなのは、ごく、で、らさん…です」
泣きながら自分に言い聞かせているようにも聞こえたその言葉を雲雀はどんな表情で聞いていたのだろうか。
立ちあがってその場を後にしようとする彼女を呼び止めた。
触れることは出来ず、呼びとめることしか出来ない自分が歯がゆかった。
今のままでは只彼女を傷つけてしまうだけだった。
「
」
彼女がピタリと動きを止める。
「これだけは忘れないで……」
「
が誰を好きになろうと、愛していようと」
「僕は
だけを愛してるよ」
雲雀の言葉に一度振り返り、大きくゆっくりと瞬きをした彼女の頬に涙が伝う。
そして、そのまま
は何も言わずその場を後にした。
「遅くなんか無い……絶対に」
雲雀の言葉が闇に呑まれるように消えていった。
僕は
だけを愛してるよ――――
耳に焼き付いて離れないこの声は只彼女を苦しめる事しか出来なかった。
温かい彼の腕の中も、頭を撫でてくれた彼の手も……。
何度も重ねられた唇の感覚も―――
あんなに憧れていたものなのに彼女はそれに触れる度に罪悪感で胸が締め付けられる。
苦しくて苦しくて自分が壊れてしまいそうだった。
彼女には彼と関わる代償が重すぎたのだ。
が走って向かったのは獄寺の部屋だった。
仕事中の獄寺が部屋に居る筈が無いのだが、行かずにはいられなかった。
この場所で
が唯一頼っていい存在。
それが獄寺だからだ。
獄寺の部屋に入るとそのままベッドの脇で脱力したようにドサッと膝をつく。
そのままポスッと頭をベッドに突っ伏している。
涙を止めることが出来ず、シーツを濡らしてしまう。
『勝手に人の部屋入ってんじゃねーぞコラァ!』
昨日の獄寺の言葉がこんな時に浮かんでくる。
自分に向けられて言われた言葉ではなかったが今は言われる対象となる方だった。
やっぱり勝手に入るのは不味かったかな?と思いながら、しかしこの私泣いてますという顔で言いに行くわけにもいかず…。
どうしようかと悩んでいると部屋の扉が開いた。
「…………な、」
入ってきたのは勿論獄寺だった。
まさか部屋に居るとは思わない人物が部屋に居たことに驚いているのか…。
それとも彼女が泣いている事に驚いたのか…。
あるいは両方か……。
一体どれに当てはまるかは分からないが、獄寺は大きくため息をついた。
そして、額に手を当ててその場にしゃがみこんだ。
この上ない程困っている様だった。
「なんで……泣いてんだよ」
その言葉に
はこれ以上涙を流すまいと眉間に皺をよせた。
獄寺はそんな彼女の傍まで近づく。
彼女の傍で先ほどのようにしゃがみこんで顔を覗き込むように目線を合わせる。
獄寺は彼女が何か言うまで自分は黙っていようとそのまま何も喋らなかった。
は獄寺がずっと待っていてくれるのが分かったが戸惑っていた。
このまま抱きついて、抱きしめて貰いたかった。
しかし、彼女は動けなかった。
無責任すぎる―――
そんな言葉が彼女を動けなくしていた。
先ほどまでは雲雀にくっついていたのに今度は獄寺?
何だか凄く獄寺に申し訳なくて、動けなかった。
それでも、言葉なんて出てこなかった。
そんな彼女に獄寺はついに痺れを切らして手が動いた。
何も言わずに
の頭に降りてきた手が優しく彼女の頭を撫でる。
まるで泣いている子どもをあやすように。
その優しい手がとても心地よかった。
先ほどの雲雀と同じ筈なのに全く違っていた。
不意に頭に置かれていた手が後ろへ降りたかと思うと肩を抱きかかえられ、そのまま獄寺の方へ抱き寄せられた。
次第に彼女の力が抜け、魔法が掛かったかのように獄寺に抱きついた。
「……ったく、俺はこういうとき何て言っていいかわからねーんだよ」
獄寺の言葉に彼女は薄く笑った。
そんな彼女の涙を手で拭う獄寺。
「何があったんだよ?ヒバリか?」
そう問われて
は獄寺の服をギュっと握った。
そして、そのままさっきの出来事を話始めた。
「ヒバリが……そう言ったのか?」
獄寺の言葉に力なく頷く
。
さすがの獄寺も驚いたのだろう……。
雲雀の昨日の態度からして何かあるとは思っては居たみたいだが…。
獄寺の顔つきが怖くなった。
それを見た
は全身が震えるほど恐怖した。
何だか、自分に対して怒っている様にも見えてしまったから。
「お前、何で俺の所に来たんだ?」
彼の言葉が胸に突き刺さった。
「さっき、ヒバリを選んでたらお前の望み通りになったんじゃねーのか?」
「何でそうしなかった」
確かに獄寺の言うとおりだった。
あんなに自分で望んでいた事が目の前にあったのに、それを手放した。
どうして……?
そう聞かれてもわからない。
只あの時は自分を保つことで必死だった。
それでも、雲雀の方に行ってはいけないと思った……。
「わか、り、ません」
そんな曖昧な返答に対して獄寺は顔をしかめる。
はまるで抜け殻のような笑みをうかべる。
その表情に感情というものは無かった。
かと思うと自身から何かがこみ上げて来る。
自分自身が壊れてしまうのが何となく分かった。
「自分でも、わからないのです……」
「……………。」
「嬉しい筈なのに…言って欲しかった言葉の筈なのに……」
「どうしてこんなに―――」
「苦しいのですか―――?」
彼女と獄寺の視線が交差したとき、頬に涙が伝って下へと落ちた。
それは、彼女の心。
己の気持ちすら見失ってしまった己自身に恐怖し、震える。
獄寺はそんな彼女の頭をかかえ、自分の方へと押し付けた。
自分の存在を主張するかのように。
「お前の事は俺には分からない……けどな」
「俺に好き放題言いたいこと言って少しでも頭の中が整理できるなら何時でもそうしろ」
「それくらいなら…してやれるからよ」
ふわりと上から届く優しい声は彼女の唯一の支え。
今の彼女に絶対必要なものだった。
獄寺は彼女の頭を自分から離して顔を上へと向かせた。
「お前がヒバリの事を引きずってるのは仕方ないってことにしてやるけどよ……」
の唇に自分の人差し指を押し当てる。
「キスされたのは許さねーからな」
そう言って彼女に唇を重ねる獄寺。
先ほどの雲雀のように何度も何度も。
「もし、またヒバリがなんかしてきたら俺に言え」
「俺が全部塗り替えてやる」
絶対だぞ。顔を赤くしながら言った言葉に彼女はきちんとはいと声を発した。
「今日はこれから引っ越し準備だからな」
十代目の前で泣き顔見せるなよ。
そう言いながら涙を拭ってくれる獄寺。
彼女の心は揺れ動く。
時間が経てば経つほど彼女の心は獄寺へと傾き、戻れなくなっていく。
雲雀への思いが消えないまま過ぎる時間は心を蝕むだけだった。
どうすればいいのかは彼女が1番よく知っていた。
しかしそれを実行できるほどではなかった。
そんな戸惑いが更に彼女を蝕むこともわかっていた。
それでも、どうにも出来ない自身が嫌になった。
少しでもヒカリヘと向かうべきだった――――
NEXT