帝都の貴族街はいつも通り優雅に時間が進んでいる。
朝食を食べ終え、支度が出来て仕事に向かう者、趣味に没頭する者、買い物に出かけるため念入りに身支度をする者、それぞれが皆余裕やゆとりがあるように見える。
貴族街の外れにある一際大きな屋敷でもいつもと変わらない時間が進んでいた。
その屋敷に1人で住んでいる少女は自室でいつも通り本を読んでいた。
特別本が好きなわけではなかったが、何かやらなければいけない事があるわけでもない彼女には時間を持て余してしまう。
体を動かしたり、本を読んだり、ピアノを弾いてみたり、絵を描いてみたり。
生活には困っていない。屋敷の外に出ることが出来ないという点を除いては。
静かに1人で生活しているのが彼女の日常だった。
読書をしながら時折窓の向こうを確認するようかのように見つめる。
無意識に何度も繰り返しているが、窓の向こうにはなにも変化はなかった。
静かに1人で生活する日常は終わるのではないかと思っていた。
3日前、彼女に恋人が出来た。形だけでも恋人という存在が出来れば何か変わると思って恋人になった。
その日は本当に夢のようで、憧れていた外の世界の一員に自分も加われたような気さえしていたのだが、それから3日間また自分の日常が戻ってくると日に日にその感覚は無くなっていき、本当に夢だったのではないかという気持ちになっていた。
彼女、
の恋人になったユーリという青年はこの帝都の下町の出身で、貧しい生活をしている様だが地域一帯で助け合って暮らしている様子は
には眩しくて羨ましくて頼ってしまいたいその輪の中に入りたいと一瞬でも思うが、この屋敷から飛び出して会いに行くなんて事は出来なかった。
知り合ってからいつも温かく迎え入れてくれるあの場所に、自分は何も返すことが出来ない。
恋人になるときユーリが損得を気にしないのが恋人だろうと言ってくれたが、会ってまだ日が浅くお互い好き同士でなったわけではないこの関係は気軽に会いに行ける関係ではなかった。
自分から会いに行かないと会えないのだろうか…。
3日間そんなことばかり考えて、何も変化のない窓の向こうを見つめてはユーリが来てくれるのを待っていた。
「
様、今よろしいでしょうか。お伝えしたいことがございます」
部屋の外から声がして、いつの間にか騎士が屋敷に来ていた事に気が付いた。
いつもは屋敷に入って自室に来るまでに誰か来た事に気が付くのだが、窓の向こうに気を取られすぎていた事に気付かされて自分が嫌になる。
「はい」と扉の向こうに返事をすると、そちらへ移動して扉を開けると騎士が
に向かってお辞儀をしたので
もそれを返した。
「お伝えしたいこととはなんでしょうか?」
「先ほど連絡があって、本日シュバーン隊長が帝都に戻られるそうです」
「本当!?シュバーンが?」
「はい、アレクセイ様から明日シュバーン隊長を
様の所へ寄越す旨を伝えるようにと伝言を頼まれたのです」
「シュバーンが来てくれるの?」
「はい、アレクセイ様自身が来られない代わりに
様の様子を伺いに来られるそうです」
「わあ!嬉しい!シュバーンと会うの一月ぶり?もっと経ってるかな?でもその位ぶりで……あ、ごめんなさいつい敬語が……」
「お気になさらないでください。アレクセイ様から言われていなければ本来
様が私達に敬語を使う必要などないのですから」
「いいえ!そんな。すみません、気を付けます」
が軽く頭を下げると「それと、こちらを……」と騎士が
の前に差し出したのはケーキ屋の箱だった。
その箱を見るなり
の瞳がキラリと揺れる。
箱を受け取ると、思っていたよりも重かったのか
が驚いた表情を向けると騎士は聞かれる前にその問いに答えた。
「来れないお詫びにいつもより沢山買っていくようにと言われておりましたので」
「ありがとうございます。でも、箱も大きいですしこの重さ、5つ位入ってそうな……」
「流石です
様。5つ入っております」
「え!当たってしまいました!?なんだか恥ずかしいです……プリンの数を重さで当てるなんて」
「それほど喜んでいらしたとアレクセイ様にお伝えいたします」
「はい、ありがとうございます」
用事が済んだ騎士は「それでは失礼致します」とお辞儀をして仕事に戻っていった。
騎士が
の居るところから見えなくなると、
は嬉しそうに先ほど貰ったケーキ屋の箱を持ってキッチンへ向かった。
食材を冷やして置ける魔導器へ箱を入れていつ食べようかと考えながら自室へ戻ると、ソファに誰か座っていて
の目が嬉しさを隠せないほどキラキラと輝いた。
が部屋に戻ってきたのに気づくと「よ!邪魔してるぜ」と悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「ユーリ!来てくださったんですね!」
「待ってたんだけど1人じゃ中々外に来れないみたいだったからな。呼びに来た」
「すいません……」と気まずそうにユーリへ謝ったがすぐに「呼びに?来た?」とよくわかっていない様子の
を可笑しそうに見ながらユーリが続ける。
「今日、女将さんが宿屋でお菓子作ってみんなでお茶会するから
も来いよ」
「お茶会ですか!?わあ!楽しそうですね!あ、でもわたしは……」
いつもお世話になりっぱなしなのに、また好意に甘えてもいいのだろうかと
が断ろうとするとそれをユーリが遮った。
「実はお茶会なのに紅茶が足りるか微妙らしくて、
が紅茶を持ってきてくれるとスゲー助かるんだよな」
ユーリの言葉に断ろうと下を向いてしまっていた
の顔がすぐに向き直った。
驚いて言葉が出てこない
に「勿論
がよければ、だけどな」と付け加えるユーリ。
みるみる嬉しそうな表情に変わり、大きく頷く
。
「はい!わたしの紅茶でお役に立てるなら勿論行きます!」
「サンキュ。じゃあ、俺一回戻って
が来ること伝えてくるから……1人で来れるか?」
「あ、はい。大丈夫です。支度に少し時間がかかってしまうので」
「そっか。でも、そうだな……初めて会ったあの橋わかるか?一応あそこで待ち合わせするか」
「はい!」
「じゃ、また後でな」
待ち合わせをするのが嬉しいのかわくわくしている様子の
に思わずユーリの表情も柔らかくなる。
窓から帰っていくユーリを見送ると、
も慌ただしく支度に取りかかった。
紅茶を持っていくのはいいのだが、丁度いい入れ物があっただろうか?と取り合えずキッチンへ向かう。
食器棚の上にバスケットが置いてあるのを見つけると椅子に上ってそれを取った。
手に取ってみると思っていたより大分大きくて、これに紅茶の茶葉だけ入れていくのはどう考えても大きすぎだった。
ふと思い出したように先ほど冷やしたケーキ屋の箱を取り出す。
お茶会にはどの位人が来るのだろうか。箱の中にはプリンが5個。
持って行っても大丈夫だろうか。
足りなかったらどうすればいいだろうと一瞬悩んだが、少しでもお返しが出来ればと持っていくことにした。
バスケットの中にケーキの箱を入れると、スカスカだった籠の中身もいっぱいになって丁度良く感じた。
紅茶は、どんなお菓子か聞きそびれたので普通のものを選んでそちらも籠に入れるとすぐに部屋へ戻った。
何を着ていこう。
前回屋敷を出た時もとても悩まされた洋服。
何しろこの屋敷にある服は下町では目立ってしょうがない。
市民街には帝都の外から来た人や貴族の姿も見られるので特別目立つことはないのだが、下町にドレスを着ている人はいない。
ユーリの周りの人たちはいつも
の服装を気にせず接してくれるが、道中ですれ違う人には奇異の目を向ける者もいる。
出来るだけ馴染みたいのに、それが出来ない。
「服、欲しいな……」
ズラリと並んだドレスを見てぽつりと呟く。
初めて服が欲しいと思った。
今までは与えられたものだけで充分嬉しくて、こんな風に服が欲しいなんて思ったことはなかった。
欲張りになっている自分に不安と嫌悪が沸き上がったが、速くしないとプリンが温まってしまうと思い立ってドレスを一着手に取ると早々に着替え始めた。
着替えている間ももやもやと様々な事が頭によぎる。
ユーリと出会ってから、嬉しいことも増えたが悩んだり自分が不甲斐なく感じたり、時々気持ちが落ち込むこともある。
昔にもこんなことがあったな、と小さいころのことを思い出す。
自分にとって大切な人が出来た時の事だった。
ユーリがそういう存在になってきているのだと思うと嬉しい半面、言葉では言い表せない不安も感じる。
着替え終わると、気持ちを切り替えようとベッドの横にあるサイドテーブルに置いてあるペンダントを手に取った。
ユーリと出会うきっかけになったペンダント。
初めて1人で外に出た時、お守りとして持って行った大事なもの。
不安になると手に持っていたくなる。
この前みたいに落としてしまわないように今度は首につけていこうとペンダントを首にかけて、これで大丈夫と言い聞かせるようにぎゅっと一度握った。
急がないとユーリを待たせてしまうかもしれないと、プリンと紅茶の入った籠を手に
は窓から外へ出た。
屋敷の敷地内から出て、道なき道を抜けるとやっと人が歩ける道へ出る。
ギリギリ市民街だが、少し下るともう下町の敷地になるとユーリが前に教えてくれていた。
もう3度目なのでなんとなく道を覚えてきた
はユーリと待ち合わせをしている橋へと向かおうとするが、その足はすぐに止まった。
「ラピード!」
まるで
を待っていたかのように道の真ん中に堂々と待ち構えているラピードの姿を見つけて、思わず駆け寄る。
が傍に来るとラピードは下ろしていた腰を上げて
の右足の方へ歩いてきた。
この前怪我をさせてしまった所が気になるのか、じっと右足を見つめているのを見て
がラピードに「もう傷はふさがりましたよ」と声をかけると、
を見上げて手に持っていた籠の取手を銜えてグイグイと引っ張った。
持ってくれるということなのだろうかと、
が籠から手を離すとそのまま籠を銜えて市民街の方に歩き出した。
が行こうとしていた方向とは反対方向だったので戸惑って歩き出せない
に、ラピードは
が付いて来ていないことに気づいて立ち止まって
の方へ振り返る。
じっと見つめて「ついて来いよ」と言っているのであろうラピードに
は困った顔を向ける。
「あ、あの……ユーリと向こうで待ち合わせしているんです。なので、向こうに……」
が行きたいのは市民街ではなく、下町のユーリと待ち合わせをしている橋。
それを伝えてみたが、ラピードは「こっちに着いて来い」と言うように市民街へと歩いて行ってしまった。
「待ってください!ラピード!」
ラピードが籠を持っているので追いかけるしかない
はラピードに付いて行くしかなかった。
どう見ても
を困らせたいわけではなさそうだし、きっと案内をしてくれているのだろうということはなんとなく伝わって来るのでそれを無下にはできなかった。
きっとラピードも行くところは一緒なのだし、宿屋についてから急いでユーリの元へいけば大丈夫だろうかと元々行くはずだった道を振り返ったが前を歩いているラピードへとすぐに向き直った。
市民街は人が多く、気を抜くとラピードを見失ってしまいそうになる。
人の波に隠れてラピードが見えなくなってしまいそうで慌てて小走りで追いかけると向こうから歩いてきた人と派手に肩がぶつかってしまった。
その反動で少しよろけてしまうと、ぶつかった人が即座に腕を引っ張ってくれて転ばないで済んだ。
「おっと、大丈夫かい?」
明るい声色で声をかけてくれたその人の方を見ると、一瞬目が大きく見開かれたような気がした。
にとってもなんだか親近感がある声だった。ただ、
が知っている声の調子とは随分違っていた。
赤紫色の羽織ものを着て、髪は後ろでひとつにまとめている男性。
何処と無く似ている気もするのだが、
の頭に浮かんだ人とは似ても似つかない恰好だった。
「すみません、ありがとうございます」
「いやいや!こんな美人さんとぶつかっちゃうなんていつでも大歓迎よ」
「え……あ、すみません」
正直こういうタイプは今まで出会ったことがなくてこういう時にどう返答したらいいかわからない
は何故か戸惑いながら謝ってしまった。
絶対に
の知っている声の主とは違っていて、頭に浮かんだその顔を急いで吹き消した。
そんな
の反応をみて、ふふんと面白そうに笑う男性。
「それより、お嬢ちゃん見るからに貴族様だろうけどお供とか付けて歩かなくていいの?」
「あ、はい……」
「変なのに絡まれないように気をつけなくちゃダメよ」
「はい」と
が返事をすると、「んじゃ、次からはちゃんと周りに気を付けて歩いてちょうだいな」と
に向けて手を振って歩いて行ってしまった。
はラピードが歩いて行った方を見ると、戻ってきてくれたのか
の方へ歩いてくるラピードを見つけてすぐに駆け寄った。
ラピードと合流して安心した表情を向けるとそのままラピードとまた歩き出した。
少し離れたところで先ほどぶつかった男性が
の事を見ていた。
がラピードと共に歩き出して下町の方へ歩いていくのを見ると顎に手を当てて目を細める。
「なーんで、
がこんなとこに居るんだか……」
そう呟くと面倒くさそうにボリボリと頭を掻いて何かを考えているような様子をみせたが、それも一瞬のことでまた歩き出すと
とは反対の方向へ歩いて行った。
ラピードが坂を下り始めたところで、
はふと振り返って先ほどの男性を探してみたが見当たらなかった。
向き直って坂道を下るラピードの後を追って少し歩くと、その先に見知った風景があった。
「あれ、噴水広場だ……」
がそう呟くとラピードが
の方を見た。
この間ちらっと帰る前に立ち寄っただけだったなのだが、下町にこのような噴水があることに驚いて強く印象に残っていた。
いつも別の道から宿屋に行っていたが、今日来た道の方が確かにずっと近い。
賑やかな市民街を通らなくてはならないからユーリはわざと避けていたのだろう。
ラピードにはその辺の事情はわからないだろうしそれならば近い方へ案内するのは納得がいった。
「こっちの道の方が近いんですね」
はそう言ってラピードと目線を合わせられるようにしゃがんで「ありがとうございます」とお礼を言った。
礼を言われたのがわかったのか、ラピードは「ワゥン」と満足そうに喉を鳴らして一度だけ尻尾をふった。
広場を見みると何やら人が集まっている様子でどうしたのだろうかと様子を伺っていたら、
の後ろから声が降ってきた。
「ラピード!籠なんて持って、誰かにお遣いでも頼まれたのかい?」
その声に驚いて、思わず振り向くと
の頭の中は真っ白になった。
が見たことがない色だったが、それは確かに騎士団の隊服だった。
すぐに逃げろと全身から合図が一斉に送られる。
目の前の金髪で水色の隊服を纏った騎士団員は
の顔を見るなり酷く驚いたような表情を向けたからだ。
この反応は絶対に”知っている”。
「貴方は……」
騎士が口を開いたところでやっと動くことが出来た
は咄嗟に逃げだした。
見つかってしまった!自分のことを”知らない”騎士に見つかってしまった。
走って逃げる
を瞬時に追いかける騎士。
「お待ちください!」と後ろから声がするが、待つ筈なんてなかった。
ドレスにヒールだからといって、ここで捕まるわけにはいかない。
しかし、いくら運動神経に自信があるといっても下り坂を丈の長いドレスとヒールで走った経験がない
は意外と急勾配なこの下り坂を下りきれず途中でかかとを踏み外してバランスを崩し、頭から地面へ転がり落ちてしまった。
痛がる余裕もなく、すぐに騎士が追い付いてしまった。
「大丈夫ですか!お怪我は……!すぐに手当てを」
逃げなければいけないのに、盛大に倒れこんだ恥ずかしさとこの短い時間で起きた出来事が目まぐるしくて一旦止まってしまうと力が抜けたように動くことが出来なかった。
騎士の問いかけも
の耳には全く入っておらず、唯々最悪ともいえる現状の打開策を考えつつもこの状況のまま進んだ未来に起こるであろう出来事がはっきりと頭の中に映像になって流れていた。
ドクンドクンと自分の鼓動しか聞こえていなかった
が何かに反応して後ろを振り返った。
「
!」
が先ほど走ってきた道をユーリが走って下りてきているのが見えた。
この外の世界で唯一頼れる人が来てくれた。
それがどんなに心強くて安心を与えてくれるものか計り知れないほど実感して涙が出そうになった。
「どうしたんだよ。大丈夫か?」とユーリが声をかけながら近づくと「ユーリ……」と
が弱々しい声で呟いたが、その頃にはユーリはすぐ傍でしゃがみこんで様子を伺うように顔を覗き込んでいた。
だけではなく騎士もユーリの名を呼んだが、ユーリは一瞬目線をそちらに向けただけでその呼びかけに答えることはなかった。
「立てるか?」
そう
に声をかけて手を差し出すと「はい」と返事をしながらその手を取る
を立ち上がらせる。
立ち上がってみて、
は初めて右足にズキンと下から思わず震えてしまうような痛みが走り抜けて右足を捻挫したことに気が付いた。
の顔が痛みに歪んだのをユーリが見逃すはずもなく、足を怪我したことに気付いたユーリはすぐに
を抱きかかえる。
その行動に
は勿論驚いたが、
の傍にいた金髪の騎士も驚いた表情を見せた。
が狼狽えてもごもごと何か言っているのもお構いなしに
を噴水の淵に座らせると、ようやくユーリは騎士の方を見た。
「で?何があったんだよ、フレン。……まあ、大体想像は付くけどな」
「突然声をかけてしまって驚かせてしまったんだ。……ところで、その方とどういう関係なんだい?ユーリ」
「どうって、俺の彼女だけど」
フレンと呼ばれた騎士とユーリが普通に話し始めるので驚いて何も言えない
だったが、ユーリに「彼女」だと言われてみるみる顔が赤くなっていく。
だけではなく、フレンも「彼女」という思ってもいなかった言葉が飛び出してきたことに驚きが隠せず変な声を漏らしていた。
その反応を見てさらにからかうように悪戯っぽく「だよな?」と
に向かって確認してくるので
は顔を真っ赤にさせたまま恥ずかしそうに小さく何度かと頷く。
頷きながら、そういえばこの間宿屋でフレンという騎士の事を知っているかと聞かれたような気がすると思い出していた。
何が起きているのかわからないといった顔で困惑しているフレンを珍しそうに見ているユーリの所に、ラピードが俺も居るぞと言わんばかりにユーリに籠を見せつけて小さく吠えた。
「おうラピード。……なるほど、お前が先に
を迎えに行ってたのか」
「ワフン」
「でもお前に
の家の場所なんて教えてねーけど……」
「ワゥン!」
「匂いがするところで待ってたって?スゲーな」
どうしてラピードが言っていることがわかるのだろうと不思議に思ったが、それよりも先に
はユーリに謝らなければならなかった。
「あの、ユーリ。ごめんなさい。ユーリと待ち合わせしていた所に行かなくて」
「いいよ。ラピードが荷物持ってこっちにこいって連れてったんだろ?まさかラピードに先を越されるとは思ってなかったけどな」
「宿屋についてから急いで向かうつもりだったのですが……やっぱり、来ないから探させてしまいましたか?」
「まあな。でもまだ屋敷に居るのかと思ってそっちに向かってたら、例のルートに入る直前にこれが落ちててさ。ほら、これお前のだろ?外には出てるんだってわかったから探してた」
ユーリが
に手渡したのは屋敷を出る前にわざわざ付けていたペンダントだった。
まさか落としていたとは思わずペンダントを見るなり驚く
だったが、それを見て驚いたのは
だけではなかった。
「それは……」
口を開いたのは
ではなくフレンだった。
ユーリが
にペンダントを返したが、そのペンダントをじっと見つめているフレンを
は警戒している様子を見せた。
どうしてペンダントを見てこのような反応を見せたのかはわからなかったが、フレンは”知っている”のだ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。フレン・シーフォと申します。ユーリとは下町で一緒に育った昔馴染みなんです」
「こちらこそご挨拶もしないで……その、
と申します」
「
、さん……」
あまりに警戒されている様子だったのを少しでも和らげようと自己紹介をしたフレンだったが、
の名前を聞いた途端歯切れが悪く名前を呟く。
ファミリーネームを名乗らなかったからだろうか、何か聞きたそうな雰囲気が伝わってきて
が焦っている様子なのを見かねてユーリが話を遮るように割って入ってきた。
「つーか、そろそろ怪我の治療しないとな。フレン、治癒術かけてやれよ」
つい先程までは
の怪我の治療をしようとしていたのに、それを後回しにしてしまう程気がかりな事が多いのだろうか。
普段のフレンなら絶対あり得ないだろう事にユーリも2人の些細な変化を見逃さないよう注意深く様子を伺っているようだった。
「申し訳ございません。本来ならすぐにでも治療しなければならないのに……」と謝って
の右足に治癒術をかけようとするフレンに
は気を張らないで欲しいと言うつもりで返事をする。
「あの、自分で治せますのでお気になさらないでください」
その一言にまたフレンが判然としない様子で「自分で……?」と呟いた。
に問いかけているというよりは自身の頭の中を整理しているように見えた。
先程からジリジリと何かを探られているような気がして、
はなんとも言えない居心地の悪さを感じる。
「武醒魔導器を持っていますので……えと、それが何か?」
「いいえ、ご自分で治療出来るなんて流石ですね」
「そう、でしょうか」
「武醒魔導器は私達平民では手に入れる事は難しいですし、教養もないと術を習得することも困難ですから。治癒術の様な詠唱が必要なものは特に」
「そうですね。わたしは本当に集中しないと失敗してしまう事もよくあります」
「この間も失敗してたしな」
流石だと言われた時は何か含みを感じた気がして、つい構えるような言い方をしてしまったが、その後に続いたのが
に向けた言葉というより貴族や
の育ちに対して言っているのだとわかると
の態度も少しだけ柔らかくなる。
ユーリが茶化すように割って入るとふざけて耳を塞いで聞きたくないというように首を横に振ったが、笑いを堪えている
を見て「なんだよその顔は」とユーリに指摘されると楽しそうに笑ってみせた。
「私に治療させてください。今回は怪我をさせてしまった責任もありますから」
が「はい」と返事をする前にフレンが
の右足に治癒術をかけ始めたので
は大人しくされるがままに治療を受ける事にした。
「ありがとうございます」とお礼を言うと、フレンがとても優しい表情で笑いかけるので少しだけ
の表情も柔らかくなった。
しかしそれも一瞬で、フレンが治療の為に
の右足に触れるとそんなつもりは全くないのにドキドキしてしまって顔が赤くなる。
何とか平常心を保とうと目線を泳がせているとユーリと目があって、ユーリが目を細めて含みのある表情を
に向けたので
は全力で首を横に振った。
それを見たユーリはすぐに可笑しそうに笑う。
からかわれた事に気が付いた
は若干口を尖らせてユーリの方を見た。
色々恥ずかしいので治療して貰うのは右足だけにして、その他の擦り傷は自分で直してしまおうと擦りむいた腕に治癒術をかけようとしたとき、
の視界がぐにゃりと歪み始めた。
丁度フレンが治癒術をかけ終わった所で、まだ治りきっていないのかもう一度術をかけ始めた。
目を開けているのに一瞬前までの景色を捉える事ができない。
頭もぼーっとしているが、、立ちくらみや軽い目眩の時のように意識はあるし、景色はある程度見えるのにピントが合わなくなってしまったようなそんな感覚に襲われる。
気を抜いたら意識まで途切れてしまいそうで、左腕を右手で今入れられる精一杯の力で掴んでなんとか意識を保つ。
ユーリが
の異変に気がついて声をかけた。
「どうかしたか?」
「……いえ、大丈夫です」
大丈夫と返事をすると、次第に少しずつ元に戻ってきたようで下を向いてしまっていた顔をあげる
。
突然なんだったのだろうと思ったが、治癒術をかければそれらも治るだろうと擦りむいた所に術をかけ始める。
の左足首にある武醒魔導器が徐々に光り始めるのが右足を治療しているフレンの目に入ると、まるで異変が起きたとでも言う勢いでフレンが
を見た。
そのフレンの動きに驚いて、何かあるのかとユーリも注意深く
を見たとき
が静かに倒れていった。
治療の為にすぐ側にいたフレンが抱きとめたが、ぐったりと伏せた身体は起き上がる気配がない。
すぐさまユーリが側へ寄って
を抱きおこすが、意識を失っているようで目を覚ますことはなかった。
「おい、
!
!」
ユーリが
を揺さぶって声をかけるが、それにも反応がない。
ラピードも何か大事が起こったことが分かって、すぐにユーリの側に来る。
もう一度声をかけようとするのをフレンが制止した。
「安静にして置ける場所に運ぼう。僕は医者を呼んでくるよ」
「そうだな。取り敢えず俺の部屋に運ぶ」
「わかった、すぐに向かうよ」
長年慣れ親しんだ仲ということもあって、こういった取り決めも速い。
フレンは急いでこの場を後にして医者の元へ向かった。
ユーリは
を抱き上げると宿屋の自分の部屋へ向かう。
先程
を抱き上げて噴水の淵まで運んだ時よりも明らかに体温が高い。
急に倒れるなんて、元々具合が悪かったのか。
そんな風には見えなかったが、どうなのだろう。
が倒れる直前にフレンがものすごい勢いで
を見たのを思い出して、どうもそれが気がかりだが、その後
を抱きとめたフレンの表情は酷く驚いていてそれがどうもユーリの中で噛み合わなかった。
フレンと
の間に流れる微妙な空気から察するにフレンは何か"知っている"。
それは確かなのだが、それをフレンに問いただすのはフレンや
はどう思うのだろうか。
自分が聞いたところで、答えてくれるのだろうか。
どこか割り切れない、釈然としない気持ちが付き纏う。
「ワゥゥン……」
「ラピード、それ女将さんに届けてくれるか」
「ワン!」
「サンキュ」
ラピードが心配そうにユーリに声をかけるように吠えるとユーリは一度
を抱き直した。
宿屋の前まで来るとラピードはそのまま女将の所に向かったので、ユーリは自分の部屋へ向かい
をベッドに寝かせる。
前髪をよけて額に手を当てると触っただけで熱があるとわかるほど熱い。
ユーリは未だに目を覚ます気配のない
の髪を切なそうに一度だけ梳かすように撫でる。
その表情は憂いに満ちていた。
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(2018/08/24)
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